オーケストラ作曲の所要時間
音系同人だと、だいたい半年~数ヶ月でアルバム1枚ってのがスタンダードな制作ペースです。
たしかにそれは一つの正しさを持つペースだと思うんですが、じゃあうちのサークルのオーケストラものに適用するとどうなるか?
うちの過去記事。
2015/4/末のM3に出す新作で、「作曲の前半が2014/12に終わった」と告知出してます。……なんですが、ぶっちゃけ余裕ゼロって認識でした。
普通のサークルだと、コミケ終わって2015/1から制作着手なんて話も普通にありますよね?オーケストラものって、「残り後半が4ヶ月」で余裕ゼロってくらい、作業時間かかるんです。Magnaのときは巨大編成で合唱入りなのでなおのこと。
Magnaのときは作業分量的に前半:後半で2:1くらいなんで、単純計算でも制作所要12ヶ月です。で、企画立ち上げてコミュニケーション手段作って体制固めて……といった事前準備と、このときは技術実験企画とスピンアウト企画までやってるので、トータル所要時間1年半以上。そういうことです。
Magnaはオケものとしても大規模ではありますけど、「作業期間1年」って全然不思議じゃないんで!
……ほら、ボイドラ界隈って「制作に1年かかる企画」って時点で参加者側から敬遠されたりするじゃないですか。そんなにかかるのか?的に。
オーケストラってこの世界なんで。
Magna Solemnitas: レビューを頂きました
久々のMagna Solemnitasネタ。
ありがたいことに、タチやん様のレビュー雑誌プロジェクト R3magazine からレビューをいただきました。
書いてる自分自身が、曲の持っている力をきちんと理解できているか?というとそれなりに怪しいこともあるわけで、こうやって記事にしていただけると本当にありがたいものですね。
ダウンロード版はBOOTHにて頒布中。
CD版は東京未来音楽さまにて取扱い中です。
反表現規制運動や都知事選の内幕に見る民主(=立憲法治)主義と「民主」主義
ちょっと面白い題材があったので、紹介してみます。
相変わらずの表現規制ネタではありますが。
まずは、コミケの事実上の顧問弁護士として知られる山口弁護士のツイートから。
青木文鷹氏が3年前のことを忘れて、しゃしゃり出て来たようなので、当時のツイートを再度流しておきますね。青木氏におかれては速やかに撤退し、今後、表に出る形では、表現規制反対運動に関わらないで欲しいです。 @FumiHawk https://t.co/MCYGg5wuot
— 山口貴士 (@otakulawyer) 2016年7月21日
3年前にも言いましたが、青木文鷹さんが政治活動で目立つことは、表現規制反対運動にとってマイナスになりかねないので、早期に撤退して頂きたい。 @FumiHawk https://t.co/yrUuQiI5Sy
— 山口貴士 (@otakulawyer) 2016年7月21日
このツイートを見たとき、私の第一印象は「はぁ?」でした。
山口弁護士としては何らかの理由があるのでしょうが、その理由は何なのか?*1そして、誰かに「表現規制運動(の表向き)から撤退を強いる」ことができるような理由ってのはどんな話なのか?
というわけで、疑問を感じたのでこんなツイートを出してみました。
コミケ準備会に近い弁護士が、青木文鷹さんの反表現規制運動を攻撃している。これどういうことなんだろう?過去の経緯が説明されていないから、説明不能なイデオロギー反目にしか見えないし、それは「自分の気に入らないものは排除する」論理で最強硬派の表現規制と何が違うのかわからない。
— あかみ (@akami_orihime) 2016年7月22日
その結果、いくつかの経路から情報が入ってきました。情報自体の意味合いはともかく、客観的事実としては十分に追跡可能な内容でしたので、誰かが嘘をついているのでなければおそらく正しい情報だったと考えます。
この時点で「山口弁護士がなぜ上記のツイートをしたか」はクリアカットにわかりましたが、にしても議論ややこしいな……と思ってたら、当事者からさらなるツイートが。
若気の至りで色々巻き込まれ、確かに名誉毀損で罰金お支払しましたよ。被害者の方とも和解して謝罪と賠償も済ませてますよ…そう、あんたらがウチに対して現在進行形で行ってる『名誉毀損』を、ね。そりゃあ今でも恥ずかしくて申し訳ない気持ちで一杯だよ。でも、それとウチの活動と何が関係ある?
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2016年7月23日
桶川ストーカー事件について勘違いしている人がいるようだから説明しておくと、件の事件は亡くなった被害者女性の殺人事件と、それと別に被害者父親への名誉毀損事件の二種類があった。ウチが名誉毀損で罰金刑になったのは後者の事件のほう。殺人事件には一切関与していないし、起訴もされてない。
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2016年7月23日
これで 得られた情報の裏付けが取れた&それ以上に追加の情報が得られた、と考えます。
そもそも桶川ストーカー事件の被害者父親への名誉毀損に関わった時点で人格としてどうなのか?という話はありますが、それは過去のこと。脇道ではありますが、新約聖書:ヨハネの第一の手紙1章9節にもこうあります。(口語訳より引用)
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。 主イエスの血、全ての罪より我らを潔む。」
ただ、同時にこの件についてはこういう側面もあります。
ネットにおける名誉毀損というやつは、見方によっては『表現の自由を悪用したもの』ともとれるのです。過去にそういう前のある人がいくら罪を償ったとはいえそのことをあまり表に出さず規制反対運動をしてしたとすると、ちょっと説得力に欠けるかな。 https://t.co/w2Y8dhyjWj
— ktgohan@3日目西g10a (@ktgohan) 2016年7月26日
法律的には罪を償ったと言えるでしょう。ですが、この側面を否定することも難しいです。で、「なぜ」表に出て政治活動をやるべきではないという議論になるか、というと。
これは過去にあるジャーナリストから教わったのですが、「政治的なアクションは、常に身が綺麗な人が行わなければならない」と。質問や会話を通じて教わった趣旨としては、こんな話でした。
政治的な発言に対する反論と、発信者(活動者)の人格的な信頼を失わせる攻撃の間には、市民的には区別がつかない。だから、後者の攻撃を受けかねない人が政治的な発言に関わっていると、その発言の説得力がなくなってしまうリスクが高い。
だから、政治的なアクションを起こす人はクリーンでなければならない。問題を抱えていない人でなければならない。
おそらく今回の一連の問題もそういうことでしょう。この思想の根幹は全くもって法治主義的ではありませんが、市民一人一人の考えを忖度した結果とは言えます。その意味でこの手の考えは「民主」的*2ではあります。
一方、少なくとも投票をベースとした選挙で当選するかどうかに限って言えば、完全に多数決主義で物事が決まります。選挙ってのは民主主義のインフラと見なされることも多いですが、多数決主義との親和性も高いです。その結果、非民主的なことが起きる可能性もあります。*3
選挙という仕組み自体が、(時には多数決を無視しなければならないこともありうる)政治の世界と多数決との間でのすり合わせを支えるインフラなのかもしれません。
脇道にそれて政治家/政治活動者のクリーンネスといえば、こんな話題もありました。
これが実現できれば十分に理想だと思いますが、この理想を支えるためのインフラが現在の日本にはおそらく欠けています。
端的に言ってしまえば、中立を装わない大規模マスメディアと、それらのメディアが発信する情報を第三者として評価するファクトチェックの仕掛け。
ただ、これも欠けているとはいえ、だんだん立ち上がりつつある様相も見て取れます。中立を装わないメディアといえば、例えばこれ。
なぜ都知事選は繰り返すのか――小池の影法師・猪瀬直樹の研究(水道橋博士)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか
そしてファクトチェックの実例がこれ。
一応ファクトチェックですが、保育士処遇改善と待機児童対策を公約に書いているのは小池候補もです。増田候補は公約に処遇改善はないですが、Twitterで処遇改善を約束したので、両施策に言及はしています。 https://t.co/K1IbS9yhKG
— 駒崎弘樹:Hiroki Komazaki (@Hiroki_Komazaki) 2016年7月22日
元の話題に戻ると、山口氏 vs 青木氏の件について私自身はこう考えます。
- コミケ準備会では珍しい事案だが、小規模な即売会主催サイドからは「自分たちにとって都合の良い表現についてだけ、表現の自由が欲しい」という思想の発露を感じることがしばしばあります。この件は、コミケ準備会といえども末端レベルではこの思想と無縁ではないことを改めて裏付けるエピソードとして読み解きます。
- 山口氏が青木氏の反表現規制運動に対して良く思わないことには最低限の共感はします。が、どんな理由があろうと、山口氏はああやって表に出て他人の活動を攻撃すべきではない。その点で山口氏の活動は決定的な失点を踏んだ。もしああいう話をしたかったら、裏でやるべき。
- 一方で、青木氏の反表現規制運動が真に機能するかというと、やはり上記の理由から何かしらの壁が立ちはだかることはありそう。とはいえ、これは活動が実を結ばない可能性への理由付けであって、彼の反表現規制運動そのものを批判する理由ではあり得ない。
- 山口氏と青木氏の反表現規制運動、どちらに「本質的な批判を寄せるポイントがあるか」というと、上記の理由から、現状では前者。
- 青木氏のやったとされること(=桶川ストーカー事件の一連のアレ)を良いこととは思わないけど、罪を許さないというつもりはない。彼は適切に謝罪し、かつ社会との関係性においても罪を償い終わっている。
- どっちみち、私自身が彼らどちらの活動ともガッツリ組んで協働することはない。自分は自分なりに表現規制について考えて、自分なりの動きをしたい。その段階で彼らと同じアクションを起こすなら、特定のアクションについて効率性や規模を重視して誰かと一緒になることはありうるけど、誰かのために貢献するという意識ではない。
表現規制と線引きの問題
とりあえずここ数日の表現規制をめぐるブログエントリとツイートを。
まずは一番ホットなエントリがこちらでしょう。
表現規制だけじゃなくて在特会問題もあるわけで、彼女を都知事に推すべく票を入れるのはどうなの?問題でもありますが、「在特会的なものを是としない&在特会のやり方は間違っている&自分が在特会に関わったのは間違いだった」を表明してくれればそれはそれでいいわけで、とりあえず今は表現規制の話を。
これに対して、反論ツイートも流れてきました。
表現規制推進派は大体、「線引き」派ですよ。「過激な表現を規制するだけです」って都条例のときだって散々言われたじゃないですか……。
— ちびず (@tibizu) 2016年7月17日
「線引き」でずっと争ってるのが表現規制問題なんだよね。流行っていて、全年齢楽しんでますみたいな「実績」があれば問題視されない。境界上にある作品が問題視されるし、自主規制はその境界より広めに幅をとって行われるから、思うより影響が大きい。
— ちびず (@tibizu) 2016年7月17日
まさにそういうことで、表現規制は「実績がなく、質が高いわけでもなく、問題のある作品が世に出ることを認めるか」問題です。さらに言えば、何らかの意味で反社会的な表現*1でなくても、そもそも出版社をめぐるシステムそれ自体が伝統的に「実績がなく、質が高いわけでもない作品を排除する」システムとして機能してきた歴史もあり、この問題にストレートに機能する答えはありません。
そもそも「多くの市民が支持するかどうか」で区別を許す仕掛け自体が差別たりうるわけで、市場原理における競争「だけ」差別から外す、ってのもそれはそれでおかしいんですが。
日本国憲法にはこうあります。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
表現の自由を濫用した結果の一つが在特会やヘイトスピーチをめぐる問題であり、もう一つがエロ表現に対する表現弾圧問題だ、と思うところです。
市民的に受け入れられる限度はあるんですが、それは「基本的人権と別枠で」われわれクリエイター一人一人が濫用せず公共の福祉のために表現の自由を活用していくことで達成すべきなのだろう、と。
あと、規制派の皆さんももう少しきちんと話をしてほしいな、と思うところです。実は今回の小池氏の発言は、「規制派*2の歩み寄り」として理解するならとても筋が通っていてありがたい話です。一つの問題点が明らかになるわけで。
26万票の意味と、私たちが日本会議に学ぶこと
(7/11改稿: 山田議員が獲得した議席数を、昨夜時点での予測値15万票ではなく最終確定のもの26万票に差し替えました。それに伴い各所も変更あります)
我らがオタクが表現規制反対を願って山田太郎議員に投票した数、26万票。
コミケにすると2日分弱、オタクを一つの圧力団体として見れば大きな業界圧力団体に匹敵する程度の組織になります。現在の日教組が可能な投票取りまとめ数の倍以上?
というわけで、ある程度の結果は出せたのは確かですが、それは求められる、言い換えると明確に結果と言えるものを出せたかどうかは、現時点ではいろいろ怪しいです。なぜなら今のところ議席確保には繋がりませんでしたから。
オタクは必ずしも表現規制反対で一枚板ではありません。表現規制賛成派として表現規制を推進するような活動を展開している即売会スタッフも存在が確認されています。他のしがらみで山田太郎に投票できないオタクもいるでしょう。そこまでひっくるめて、オタク世界とは26万票の票田であることを証明できた、と言えそうです。この数字は全国の有権者数1億人から見ると0.2%強。衆院・参院あわせて議員数が700人ちょっとなので、純粋に比率で考えるとオタク票田は1~2人の議員によって代表されてもよい計算になります。
しかし、たった1~2人にすぎないのも事実です。例えば日本会議国会議員懇談会はざっくり300人弱、LGBT議連が初会合で30人弱。そう考えると、やはりオタクは強くはありません。
このような状況を踏まえて、私たちは日本会議からも学べることがありそうです。
日本会議と言えば非民主的としか言いようがない自民党憲法案やその他安倍政権の施策の背後にある組織と言われています。その日本会議が力を獲得するきっかけとして指摘されている長崎大奪還が40年ほど前のイベントです。
日本会議はこの時代から口コミを少しずつ広げ、時には谷口雅春をはじめとした宗教家のカリスマをもとに勢力を拡大し、とうとう政権与党に内閣総理大臣をはじめとする多数の同調者を送り込むことに成功しました。
私たちオタクは、オタクでない市民の共感や理解を得るために努力してきたでしょうか?いいえ、多分それどころではなく、むしろオタクの間でさえ反目してきたのではないでしょうか。特に女性向けの同調圧力は、オタクの間でさえ自分たちの活動を隠す力として機能してきました。
これでは、口コミをはじめとした共感を得ることは決してできません。
私たちは、日本会議から学ぶべきです。根気強く、少しずつ丁寧に多くの市民の共感を得ることができれば、民主主義を破壊することさえできるのだ、と。我々オタクが自分たちの表現の自由を確保することが、民主主義を破壊することより原理的に難しいこととは思えません。
私たちも、まもなく訪れる敗北から表現の自由のために一歩一歩歩んでいこうではありませんか。
日本は1945年8月15日に敗北し主権を失いましたが、今やここまで辿り着きました。敗北は終わりではありません。むしろ出発点の定義でもあります。
私にとっての表現の自由
さて、選挙まであと一晩ですね。
この選挙は冗談抜きに「民主主義国家・日本」の未来を占う重要な選挙と考えてます。で、実際に起きることは民主主義の終焉、と。とはいえ全世界的にもトランプやbrexitで起きてはいるので、結局現行の民主主義の実装も色々ヤバかった、というだけの話なのかも。
それはそうと、表現の自由話。
当然選挙の争点としても上がってますし、実際に「表現規制を訴えたほうが、表現の自由を訴えるよりも票になる」と言われている現状です。ただ、本当に政府「だけ」が表現弾圧の主体なのでしょうか?
私が同人活動を10年ちょっとやってきて、2度ほど同人活動を続けられないかも?と真剣に思う脅威がありました。その2つは、どちらも政府ではなく民間の動きでした。
民間による表現弾圧には何らの暴力装置も使われませんし、裁判所も出てきません。国会やその他議会で何の決議をするわけでもありません。ただ淡々と民間組織が特定作家の表現の場を奪うだけです。
民間対民間の世界には契約自由の原則があります。民間組織が誰かに表現の場を提供するかどうかは、最終的にはあくまで民間組織が決めるもの。だから、インフラを握った組織は政府と無関係な民間組織でも、事実上の権力として機能するのです*1。いわゆる「環境管理型権力」です。
私たち民間組織に睨まれている、もしくは民間組織に利益を提供できない弱小サークルにとって、環境管理型権力による弾圧から逃れる手段は一つしかありません。インフラへの依存度を落とすことです。
……いや、もう一つ手段があります。それは、インフラに対して声をあげること。
民間で提供するインフラが誰かを弾圧しようとしても、「そのインフラの提供を止める」ことしかできません。通常、民間企業は暴力装置を持っていません*2ので、民間のインフラに対してどのように抗議しようとも軍隊や警察は出てきません。
民間組織には市民が組織を審判できる機会としての選挙はありません。逆に言えば、日々の営業成果こそが市民による企業への審判たり得ます。
民間組織による弾圧に対しても、きちんと声を上げていくつもりです。民間対民間の関係に憲法の直接適用はないとしても、民間企業による表現の弾圧が正当化されることは決してありません。
同人と民主主義
もうすぐ参院選ですね。
東京都民にとっては都知事選も近いです。
去年はSEALDsとかの活動もありましたし、一人一人が「民主主義って何?」を考えようと思えば、きっかけ自体は皆さんあったんじゃないかな?と思います。
同人x民主主義で、私から言いたいことをまとめておきます。
- 民主主義において、通常は「主権者は国民」です。イギリスのEU離脱を国民投票で決議しようが、トランプ大統領を当選させようが、*1すべては主権者、つまり国民の判断です。なので私たちを含めた市民一人一人が民主主義の担い手なのを忘れないでください。
- いまはSNS時代で国民一人一人が必ずしも思慮のもととは言えないような国民の意見を直で見られる時代。自分たちの意見で社会が動くこともありますし、他人の意見で社会が動くこともあります。
- こういう時代において、自分たちの活動を社会に認めてもらうために一番大切なことは、自分たちが何をやりたいか、そして自分たちが他の人たちに害をなさない、ということを多くの人から納得してもらうこと。
- とはいえ私たちオタクの発信力は必ずしも強くない。どうすればいいか?国会議員、都道府県議員、市町村議員を味方につけること。
- 必ずしも多数派政党所属でなくても、議員一人一人の力は大きいです。議員が認めるということは、とりあえず社会の枠組みに入れてもらえるということ。自分たちの活動を、正しく議員に届くような形でアピールしていきましょう。