Harmonie "Diary" Chromatique

Harmonie Chromatiqueの日記帳です。

APOLLOってどうよ問題:アイデア出してみました

以前から「APOLLOってどうよ?」的な話をしていたわけですが、ちょっと思ったこと。

APOLLOって「売り場」なんですよね。即売会に例えて言うと、APOLLOが運営されることで即売会における設営済みの会場とスタッフが用意されているのと同じです。だけど、即売会ってのは設営済みの会場とスタッフだけあれば成立するものではないわけで、サークル参加者だけではなく「一般参加者」が必要です。
で、APOLLOって一般参加者いないですよね。少なくとも参加者になれない。

即売会での一般「参加者」って概念、単に「即売会に対してコミットしろ」という話じゃなくて、もう一つ重要なのが「一般参加者とサークル参加者(とスタッフ参加者)が同一の場にいることで、そこにコミュニケーションが成立する」ということ。
即売会が単なる売り買いの場で完結するなら、ぶっちゃけとらのあなメロンブックス、東京未来音楽でいいんですよ。でもそうじゃないですよね?一般参加者にとっても、即売会はそれだけに閉じるものじゃない。質量のある即売会会場に足を運んで、他の質量のある人たちとコミュニケーションして買い物する、それが多分一番楽しいところ。

現状APOLLOに足りないのは、たぶんそこなんですよ。つまりコミュニケーションの場として成立していない。じゃあどうやって成立させるか?
ソーシャルメディアを使うのではダメ。アレは「自分の視界が自分にとって良いようにカスタマイズされている」から意味のあるメディアであって、リアルの質量ある空間とは特性が違います。

というわけでアイデア考えてみました。

APOLLOは売り場としては必要十分です。設営済みの会場とスタッフはそこにいる。では、どうやってサークル参加者と一般参加者を同じ場に配置するか?
リアルの場で配置するのも手ですが、それはAPOLLOの良さが半分くらい消し飛びます。オンラインで何とかやりたい。

APOLLOのサークル&一般向け会場として、みんなでどこかのチャットに集まるのはどうでしょうかね?もちろんネトゲとかでもいいんですが、それはそれでエレファントすぎるんでもう少しライトに。

Skypeだと人数制限ありますし一般公開チャットには適さないと思うので、お手軽さ考えるとどんなインフラがいいのかな。

夏コミ……じゃなくて、Fantiaのお知らせ

もうすぐ夏コミですね。

Harmonie Chromatiqueは落選しましたので、モノの頒布は委託含めて予定しておりません。

といっても何もやっていないわけではなくて、こんなことをはじめました。

fantia.jp

昔からお世話になっているPresence∝fTVAさんと合同で、オンラインサロンをスタートです。
お互いの共通点ということで、ピアノを軸にしたサロンにしました。
まずは作品の解説記事とかを上げていく予定ですが、演奏動画やその他プレミアムコンテンツも予定しています。

本格スタートは例大祭合わせくらいの予定。

情報公開の意味~文脈とか~

「情報公開」とか「隠蔽体質」といった議論をめぐって、最近ちょっと面白い話があったので紹介。
多分同人企画方面に話を引っ張ることもできるとは思いますが、今日の議論はもっと一般的な話で閉じます。

元ネタはこれ。

bylines.news.yahoo.co.jp

そもそもこれ、私は「気象庁が隠蔽を図った・隠蔽体質というわけではない」という立場です。ですが、神田氏は(記事中にもあり当時のtweetで明言あった通り)隠蔽体質を立証しようとした、という立場で取材に乗り込んでいます。
で、「誤予測」を生んだ原因というのが、そもそも「高度利用者向け」の情報が一般向けに「漏洩」(あえてこう言います)したのが原因なんですね。

日本のスマホアプリやPC向けアプリで緊急地震速報を流す場合、おそらく大半が高度利用者向け情報をもとにした情報が元になっています。ただ、高度利用者向けってのは「高度」と言う通り、情報の文脈をちゃんと分かっている人、つまりどういう場合にどういうエラーが発生し、どういう誤りが発生しうるか理解している人向けの情報です。言い換えれば、誤報による混乱リスクを引き受けてでも大地震発生を一刻も早く知りたい人向け情報。

最近の東京都政をめぐっても、「情報公開」の題目で多くの情報を透明化することが求められています。大阪は一足早く全ての歳出を透明化する仕組みを作りました。
大阪市市政 公金支出情報の公表

なんですが、こういう生データが文脈を持たずに誰からもアクセス可能なのは、補助線って意味ではどうなんだろう?と思うこともあります。

一方で、私はいま本職のほうでデータサイエンスの仕事をやってます。機械学習とかAIとかそっち方面。そういう方向性から見ると、生データを直接いじれるってのは、確かに楽しいんですよね。楽しみだけに限れば、文脈なんかいらないから機械可読なデータを出せと。*1
ただ、じゃあ私がデータをきちんと扱う倫理を持っているかというと、それは証明はできません*2。仕事なら当然マネジメント下にあるのでビジネスとしてのインセンティブが働きますが、私個人の活動にそういうインセンティブは基本ありません。だから、「個人には生データを触らせない」というのは当然理解はできます。

……本来出て来てはダメだろ?と思う生データが出てきた最近の事例、例えばこれですね。これ一般向けに出すのは倫理的にアウトだろって気しかしないんですが……
名古屋市:子宮頸がん予防接種調査の結果を報告します(暮らしの情報)
ただ、データが出た以上データサイエンス方面から見れば宝の山なわけで、あっという間に統計学者たちがよってたかってデータクレンジングに取り組んで、機械可読なデータが一丁上がりしましたとさ。

なんだかんだ言っても、文脈を持たない未整理の生データが一般市民向けに出てくるのは、データサイエンスや細かい分析の民主化には役立ちますけど、一方で文脈を理解しない議論や曲解に巻き込まれる、という結果にも繋がります。
そのあたりの整理をどうやって進めればいいのか、悩みは尽きません。

未来への夢として、大枠としては「中立を放棄した多数のマスコミ(ベクトルの合計としては中立に近いことが望ましい)」と、「マスコミどうしの相互批判(ファクトチェック活動を含む)」あたりを整えていくと、いろいろ機能してくるのかなー?と思うところではありますが。

そういればこれ。

newsofnews.jp

ファクトチェックって「正しい/間違っている」だけではなく、「ミスリード」とか「変節した」とかの判定もしているんですよね。面白い概念だとは思います。

 

*1:ただし結果は世に出せないというやつでもあります:そんな勝手な補助線が世に出ちゃいけないので、結局自己満足にしかならない。

*2:倫理がない、というつもりはないのですが、倫理って証明できるかどうかが一番大切なことなので、証明できないこの手の倫理は存在しないのと同じです

オーケストラ作曲の所要時間

音系同人だと、だいたい半年~数ヶ月でアルバム1枚ってのがスタンダードな制作ペースです。

たしかにそれは一つの正しさを持つペースだと思うんですが、じゃあうちのサークルのオーケストラものに適用するとどうなるか?

うちの過去記事。

h-chromatique.hateblo.jp

2015/4/末のM3に出す新作で、「作曲の前半が2014/12に終わった」と告知出してます。……なんですが、ぶっちゃけ余裕ゼロって認識でした。

普通のサークルだと、コミケ終わって2015/1から制作着手なんて話も普通にありますよね?オーケストラものって、「残り後半が4ヶ月」で余裕ゼロってくらい、作業時間かかるんです。Magnaのときは巨大編成で合唱入りなのでなおのこと。

Magnaのときは作業分量的に前半:後半で2:1くらいなんで、単純計算でも制作所要12ヶ月です。で、企画立ち上げてコミュニケーション手段作って体制固めて……といった事前準備と、このときは技術実験企画とスピンアウト企画までやってるので、トータル所要時間1年半以上。そういうことです。

Magnaはオケものとしても大規模ではありますけど、「作業期間1年」って全然不思議じゃないんで!

……ほら、ボイドラ界隈って「制作に1年かかる企画」って時点で参加者側から敬遠されたりするじゃないですか。そんなにかかるのか?的に。
オーケストラってこの世界なんで。

Magna Solemnitas: レビューを頂きました

久々のMagna Solemnitasネタ。

mofday.info

ありがたいことに、タチやん様のレビュー雑誌プロジェクト R3magazine からレビューをいただきました。

書いてる自分自身が、曲の持っている力をきちんと理解できているか?というとそれなりに怪しいこともあるわけで、こうやって記事にしていただけると本当にありがたいものですね。

ダウンロード版はBOOTHにて頒布中。

booth.pm

CD版は東京未来音楽さまにて取扱い中です。

反表現規制運動や都知事選の内幕に見る民主(=立憲法治)主義と「民主」主義

ちょっと面白い題材があったので、紹介してみます。
相変わらずの表現規制ネタではありますが。

まずは、コミケの事実上の顧問弁護士として知られる山口弁護士のツイートから。

このツイートを見たとき、私の第一印象は「はぁ?」でした。
山口弁護士としては何らかの理由があるのでしょうが、その理由は何なのか?*1そして、誰かに「表現規制運動(の表向き)から撤退を強いる」ことができるような理由ってのはどんな話なのか?

というわけで、疑問を感じたのでこんなツイートを出してみました。

 その結果、いくつかの経路から情報が入ってきました。情報自体の意味合いはともかく、客観的事実としては十分に追跡可能な内容でしたので、誰かが嘘をついているのでなければおそらく正しい情報だったと考えます。

この時点で「山口弁護士がなぜ上記のツイートをしたか」はクリアカットにわかりましたが、にしても議論ややこしいな……と思ってたら、当事者からさらなるツイートが。

 これで 得られた情報の裏付けが取れた&それ以上に追加の情報が得られた、と考えます。

そもそも桶川ストーカー事件の被害者父親への名誉毀損に関わった時点で人格としてどうなのか?という話はありますが、それは過去のこと。脇道ではありますが、新約聖書ヨハネの第一の手紙1章9節にもこうあります。(口語訳より引用)

「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。 主イエスの血、全ての罪より我らを潔む。」 

 ただ、同時にこの件についてはこういう側面もあります。

法律的には罪を償ったと言えるでしょう。ですが、この側面を否定することも難しいです。で、「なぜ」表に出て政治活動をやるべきではないという議論になるか、というと。

これは過去にあるジャーナリストから教わったのですが、「政治的なアクションは、常に身が綺麗な人が行わなければならない」と。質問や会話を通じて教わった趣旨としては、こんな話でした。

政治的な発言に対する反論と、発信者(活動者)の人格的な信頼を失わせる攻撃の間には、市民的には区別がつかない。だから、後者の攻撃を受けかねない人が政治的な発言に関わっていると、その発言の説得力がなくなってしまうリスクが高い。

だから、政治的なアクションを起こす人はクリーンでなければならない。問題を抱えていない人でなければならない。

おそらく今回の一連の問題もそういうことでしょう。この思想の根幹は全くもって法治主義的ではありませんが、市民一人一人の考えを忖度した結果とは言えます。その意味でこの手の考えは「民主」的*2ではあります。

一方、少なくとも投票をベースとした選挙で当選するかどうかに限って言えば、完全に多数決主義で物事が決まります。選挙ってのは民主主義のインフラと見なされることも多いですが、多数決主義との親和性も高いです。その結果、非民主的なことが起きる可能性もあります。*3

選挙という仕組み自体が、(時には多数決を無視しなければならないこともありうる)政治の世界と多数決との間でのすり合わせを支えるインフラなのかもしれません。

脇道にそれて政治家/政治活動者のクリーンネスといえば、こんな話題もありました。

otokitashun.com

これが実現できれば十分に理想だと思いますが、この理想を支えるためのインフラが現在の日本にはおそらく欠けています。
端的に言ってしまえば、中立を装わない大規模マスメディアと、それらのメディアが発信する情報を第三者として評価するファクトチェックの仕掛け。

ただ、これも欠けているとはいえ、だんだん立ち上がりつつある様相も見て取れます。中立を装わないメディアといえば、例えばこれ。

なぜ都知事選は繰り返すのか――小池の影法師・猪瀬直樹の研究(水道橋博士)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

そしてファクトチェックの実例がこれ。

 

元の話題に戻ると、山口氏 vs 青木氏の件について私自身はこう考えます。

  • コミケ準備会では珍しい事案だが、小規模な即売会主催サイドからは「自分たちにとって都合の良い表現についてだけ、表現の自由が欲しい」という思想の発露を感じることがしばしばあります。この件は、コミケ準備会といえども末端レベルではこの思想と無縁ではないことを改めて裏付けるエピソードとして読み解きます。
  • 山口氏が青木氏の反表現規制運動に対して良く思わないことには最低限の共感はします。が、どんな理由があろうと、山口氏はああやって表に出て他人の活動を攻撃すべきではない。その点で山口氏の活動は決定的な失点を踏んだ。もしああいう話をしたかったら、裏でやるべき。
  • 一方で、青木氏の反表現規制運動が真に機能するかというと、やはり上記の理由から何かしらの壁が立ちはだかることはありそう。とはいえ、これは活動が実を結ばない可能性への理由付けであって、彼の反表現規制運動そのものを批判する理由ではあり得ない。
  • 山口氏と青木氏の反表現規制運動、どちらに「本質的な批判を寄せるポイントがあるか」というと、上記の理由から、現状では前者。
  • 青木氏のやったとされること(=桶川ストーカー事件の一連のアレ)を良いこととは思わないけど、罪を許さないというつもりはない。彼は適切に謝罪し、かつ社会との関係性においても罪を償い終わっている。
  • どっちみち、私自身が彼らどちらの活動ともガッツリ組んで協働することはない。自分は自分なりに表現規制について考えて、自分なりの動きをしたい。その段階で彼らと同じアクションを起こすなら、特定のアクションについて効率性や規模を重視して誰かと一緒になることはありうるけど、誰かのために貢献するという意識ではない。

*1:前半戦では合理性があるかどうかではなく、「山口弁護士がどう考えているか」こそが重要です。

*2:ここでカッコ付きの「民主」とは、ほぼ多数決主義とイコールです。極端なことを言ってしまえば、特定民族の絶滅を多数決で議決すれば実行する、というやつです。

*3:本記事執筆直前くらいの時点で、諸外国に比べれば十分にクリーンかつ民主的に行われる選挙である都知事選をめぐる調査の結果在特会の元代表として知られる桜井誠氏に対する20代支持率が鳥越俊太郎氏への支持を上回っていること自体が、必ずしも選挙が民主主義的な結果を示すとは言えないことの証左かと考えます。

表現規制と線引きの問題

とりあえずここ数日の表現規制をめぐるブログエントリとツイートを。
まずは一番ホットなエントリがこちらでしょう。

otokitashun.com

表現規制だけじゃなくて在特会問題もあるわけで、彼女を都知事に推すべく票を入れるのはどうなの?問題でもありますが、「在特会的なものを是としない&在特会のやり方は間違っている&自分が在特会に関わったのは間違いだった」を表明してくれればそれはそれでいいわけで、とりあえず今は表現規制の話を。

これに対して、反論ツイートも流れてきました。

 まさにそういうことで、表現規制は「実績がなく、質が高いわけでもなく、問題のある作品が世に出ることを認めるか」問題です。さらに言えば、何らかの意味で反社会的な表現*1でなくても、そもそも出版社をめぐるシステムそれ自体が伝統的に「実績がなく、質が高いわけでもない作品を排除する」システムとして機能してきた歴史もあり、この問題にストレートに機能する答えはありません。

そもそも「多くの市民が支持するかどうか」で区別を許す仕掛け自体が差別たりうるわけで、市場原理における競争「だけ」差別から外す、ってのもそれはそれでおかしいんですが。

日本国憲法にはこうあります。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 表現の自由を濫用した結果の一つが在特会ヘイトスピーチをめぐる問題であり、もう一つがエロ表現に対する表現弾圧問題だ、と思うところです。

市民的に受け入れられる限度はあるんですが、それは「基本的人権と別枠で」われわれクリエイター一人一人が濫用せず公共の福祉のために表現の自由を活用していくことで達成すべきなのだろう、と。

あと、規制派の皆さんももう少しきちんと話をしてほしいな、と思うところです。実は今回の小池氏の発言は、「規制派*2の歩み寄り」として理解するならとても筋が通っていてありがたい話です。一つの問題点が明らかになるわけで。

*1:私自身は実写U18エロを想定してますが、自民党的には全てのエロ表現がこの範疇かな?

*2:ええ、私は現時点で彼女を規制反対派とは見なしません