Harmonie "Diary" Chromatique

Harmonie Chromatiqueの日記帳です。

二次創作の自由を考える

確実に叩かれる系な意見表明なのは分かってますし、これ類似の話では歴史上巨大企業が本気で陰謀ぶっ放した事例がある話なんですが、ひとこと。

www.voca-gene.info

この件。私も併催のSDFイベント(もう恐)の売り子で会場にいました。
で、朝からタイムラインが京都のボカロ合同でいろいろ沸いてて、何事!?と思ったわけですが。

表層的な話をするなら、多分議論の枠組みはこんなところ。

  • ボカフェスは「何に対して」ピアプロリンクの申請を出した?→イベント全体?それともイベント内部の1コンテンツ?
  • イベント全体に対してピアプロリンクを申請する行為自体はある程度想定されているらしい。
  • イベント全体がピアプロリンクを申請した場合、イベント内部で頒布されるモノについてもピアプロリンクの規定に従っていることを表明する意味になるのか?
  • 普通に考えたら当該申請はイベント内部の1コンテンツに対して申請を出した記述と読み解くのが妥当だよな?
  • その場合、主語はピアプロリンク未申請のボカロイベント。そういうものは存在して良いのか?ボカロ界隈における「黙認」の現状はどうなっている?
  • ボカジェネの主張に従い「イベント全体に対して申請を出した」と仮定した場合、そもそも「イベント全体で権利的に問題のある作品は頒布されない」という約束だと見なすべきなのか?現実的にそれは可能なのか?*1

で、評価。

この件、個人的にはクリプトンが全ての悪手の原因だと考えてます。
クリプトンは権利者である以上、公序良俗に反しない範囲で権利の利用に対してありとあらゆる制限を課すことができます。それは法に定められていることであり、国会を通さずに外部第三者が曲げられる話ではありません。なので、私も「クリプトンが全ての悪手の原因だ」という以上のこと、例えば法や規定を無視した行動はできません。
ですが、やはりクリプトンの権利の運用には問題があると言わざるを得ません。ややこしい権利規定というのは、つまりオープンではない、ということです。言い換えると、自由ではない、ということ。
今回の問題は、クリプトンのややこしい権利規定が元で不公平感を生み出してしまったことが発端だ、という理解です。

ひとつの例を挙げます。Linuxは自由に権利を使えるソフトウェアです。このような自由なソフトウェアのことを、「オープンソース」と言ったりします。
Open Source Initiativeという組織が「オープンソース」の定義を明確にしています。そこには「使用分野に対する差別の禁止」という条項が含まれます。例えば「軍事用途に使うことは禁止」しているソフトウェアがあるとしたら、それは自由ではありません。
コンテンツ産業で、「軍事用途まで含めて自分のコンテンツは自由に二次創作して良い!」と言い切れるクリエイターってどれだけいるでしょうか?多分そう多くはいないと思います。米軍や自衛隊、その他自由主義圏の軍隊が使うだけではなく、「軍事用途の自由」ってのはロシア軍やシリアのアサド政権軍、果てはアルカイダISISといった組織にまで自由を認めるということですから、難しいのは分かるのですが、だからといって制約してしまっては既に自由ではないのです。

クリプトンもそういうことです。細かい制約を課している自由はそもそも自由ではありません。しかも、クリプトンの自由からはみ出す作品に対してきちんと取り締まりがされているかというとそんなことはなく、ショップにボカロ二次創作なんかいくらでも転がってますし、ボカロR18が存在しないって発言は「三店方式は存在しない」と同等のポジショントークでしかありません。そして、実効力のないルールには、混乱を生み出す力はありますが、社会を広げる力はありません。

二次創作を認めるのであれば、私自身の見解としては可能な限り広い範囲の自由を認めていく戦略が良いと信じています。
今回のボカジェネ vs ボーパラ事案は、もちろんボカジェネ主催の悪手がトリガーではありますが、真の通奏低音はクリプトンがコントロールされた「自由」*2だけを社会に対して認めていることにあるのでは、と考えます。

 

*1:建前上は多分可能で、特にエロ界隈の文脈だとほぼ同種の取扱いを実効力のある形で実現しないと怒られるのも事実なんですが

*2:それは自由ではなく、例えば2016年のNHKが享受している『報道の自由』と同類のものなのですが