Harmonie "Diary" Chromatique

Harmonie Chromatiqueの日記帳です。

政治のプロセスの話:陳情を受け入れる基準について

同人x政治関係もいろいろホットな話はありますが、とりあえず脇に置きます。

政治家はどこまで「お願い」=陳情を受け入れるべきか?という話。

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あらゆるお願い事は、思いついた人が誰かと考えたら本質的に個人的なものだと思います。例えば上記記事の冒頭に掲載されている事例、十条駅前の点字ブロックから手すりが生えている問題。

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なぜこの事案が「個人的なお願い」にならないのでしょうか?

十条駅は確かに多くの人が利用します。だからでしょうか?
ならば、利用者が極度に限られる駅(坪尻駅とか小和田駅とか)で同種の問題が起きたとしたら個人的なお願いになるのでしょうか?
点字ブロックに依存する人は、全人口から見たら明らかにマイノリティです。十条駅点字ブロックに依存する人が(個人的、とは言えない程度に)十分に多い、という証拠は存在するのでしょうか?

何をもって公益性・公共性が高いお願いとなるのか、判断基準はあまり簡単ではないように思えます。

個人的にも、公共施設のオペレーションに対しては多数の要望を持っています。こういった要望が「個人的なものであり公益性があるのかないのか」、自分で判断する方法はあるのでしょうか?
もちろん、政治家が選挙で選ばれたことを根拠とした高い見識を持って判断する(=一般人の判断は尊重されず、政治家が決める)というプロセスもありうるとは思います。
が、そうだとすると政治家に対するDDoSが成立するようにも思うのですよね。